"私の"本棚

今日4月23日は、世界図書・著作権デー。
だからというわけじゃないけれど、今はちょうど本棚整理の真っ最中。
これまで幾度となく繰り返した引っ越しのたびに本の収納場所は変わり、その間にも本は増え続けたことで、一体我が家にはどれくらいの本があるのか、どこにどの本があって、どの本になにが書かれていたのかなど、なにもかもがさっぱりわからなくなってしまっていた。
引っ越し会社の段ボールに詰めた本は、いつしか本棚へ移されることもなくなり、次の引っ越しでは「本」と書かれたN社の段ボール箱をA社が運び、その次にはA社が運んだN社の段ボール箱をまたN社が運ぶ、という始末。
もはや本棚に入りきらないんだからどう頑張ったって片付きゃしないし、どうせまた引っ越すんだし…というのが本の整理を諦めた大きな理由だったけど、段ボール箱と本棚を行き来させるたびに本が傷んでしまうのがイヤだったというのも理由のひとつ。
それがイヤで、本を買ったらカバーをかけるようにもしてみたものの、カバーをかけた本はのっぺらぼうになってしまって読む気がしない。
首尾よく読了しても、本棚にしまわれたのっぺらぼうの本はその後なにも訴えて来ず、繰り返し手に取ることはない。
100均にある透明のカバーなら表紙見えるじゃん?と思うじゃん?
多少はマシだとはいえ、装丁の触感が全部同じつるつるになってしまうので、やっぱりのっぺらぼうには違いなく。
本というのは、五感で読むものなのだなとつくづく思う。

話はそれるけど、かつて職場で「書類ファイルは種類を統一して、背表紙は色とフォントサイズを揃えたテプラで!」という大号令がかかった時、必要な情報を探す際の「あの書類はあのファイルに入っている」という認知プロセスが崩壊してしまった。
ファイルの種類、色、傷み具合、ファイルの使いまわしで紙を貼って上書きした背表紙、ファイル棚に並ぶあの人やこの人が書いた文字、大きな文字、小さな文字、同じタイトルなのに長かったり短かったり、ペンの種類、インクのカスレ具合等々。
一瞬でわかる視覚情報が消されてのっぺらぼうになってしまった端正なファイル群は、整ったファイル棚と引き換えにわたしの頭の中を取っ散らかしてしまった。

閑話休題
繰り返してきた引っ越しからようやく解放された(と思う、思いたい)今、ついに本の整理に着手したのです、大き目の本棚をゲットして。
職場でのファイル統一の件や、本の整理を諦めていた時期に自覚したのは、本棚は自分の頭の中、思考、気持ちのインプットでありアウトプットである、ということ。
本1冊の位置に固執して何度も入れ替えたり棚板の高さを変えたりしているわたしは、本棚を整理しているように見えて実は自分自身を整理しているのです。
片付けながらぱらぱらとページをめくったり、時に読み耽ったりするのも、なんていうんですかね、思考や気持ちのマッピング作業みたいなものですかね。
家族はそれをわかっているので、急かしもしないし手伝おうともしません。
今の我が家には、「やっと本を片付ける気になってくれた(涙)」と家族が安堵している空気が温かく、柔らかく充満しています。

梅雨入り前には片付けたいなあ。

ごあいさつ

かつて利用していたブログサービスがなくなり、その後いくつかのブログサービスやSNSを使ってみましたが定着できず、ながらくブログから離れていました。

理由は色々ありますが、主に

  • 新しいブログサービスを使い込む気持ちと時間の余裕がなかったこと
  • 生活の変化が続いてアカウントやパスワードの紛失を繰り返してしまったこと
  • スマホタブレットで済ましてしまうことが増えてパソコンを立ち上げる頻度が減ったこと

などですね。

最近ようやく落ち着いてきたことで、またのんびりとしたブログを始めたくなり、いくつかのブログサービスを試しているところです。
そして今、「はてな」でごあいさつを書いています。

それにしても。

はてな」を使ってみようと思い立ってからがまた面倒大変で、IDやらブログタイトルやらアイコンやらブログデザインやら自己紹介やら。
変えられないID以外は、ブログを書きながら追々どうにかすればいいやと思っています。

安定してブログを書いていくにはまだちょっと時間がかかりそうですが、取り急ぎごあいさつを1本目の記事として投稿しました。

どうぞよろしくお願いします。

……1本書いてみないと設定とかデザインとか、手の付けようがないのよね。